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以前のこと~軍足という象徴

児童相談所での検査を終え、
車に戻ってショマを後部座席につけ、車を発進させました。
気温が高い日だったこともあり、車内の温度はあがっていました。
来たときと同じように、夫は腕まくりをしてハンドルを握っていましたが、
朝と違っていたのは、
なにごとか悔しそうに泣き出しそうにつぶやきながら車を走らせていたことです。

車の中は10月とは思えないくらいに暖まっているのに、
感じるのは温度とは別の、
あの場所から連れてきた私たちの沈鬱な気持ちで塗り固められたような
重苦しい息の詰まりそうな空気でした。

なにか。なにかを言わなくては。

 「あの男の人さ…。軍足履いてたよね。」

 「履いてたね。」

 「足が蒸れるからかな…。」

 「そうかもね。」

 「足が蒸れている人にショマがあんなことを言われるなんて…。」

私は結果を聞く間、区役所での相談時と同じように
ずっとうつむいて下を見ていました。
そのせいか、心理判定員の男性が真っ白い軍足を履いていたことだけが
いやに目に焼き付いていたのです。

たった数十分、ショマを見ただけの人に何がわかるのか。
男性に対する腹立たしさが湧いてきていました。

…本当はわかっていなかったのは私たちなのだけれど。

心理判定員の男性は自分の仕事をきっちりとまっとうしただけです。
私たちに恨まれるような謂れはただのひとつもありません。
まして、軍足を履いているからと責められる理由なぞひとつも…。
足が蒸れているわけではなく、
5本の指がより自由に動くという理由で軍足をチョイスする人もいるでしょう。

失礼な言いがかりと承知しつつも、
ショマには 「遅れがある」 とはじめて明確に告げた彼の通称は、
私たち夫婦の間でこの後 『軍足』 となりました。
「軍足が…」と切り出しただけで、
いつの、そして、誰の話をしようとしているのかが
即座にわかるほどに、通称 『軍足』。

家に帰る前にスーパーによって昼ご飯の弁当を買いました。
弁当は「カツ丼」と「天丼」。
私たちはあのとき無理に笑おうとしたけれど、空気は重くなる一方で
腹が空いているとロクなことを考えないからと
ボリュームのある弁当を買ったのです。

家で弁当を食べて、
その後、会社に出かけていった夫、ショマと2人きりで家に残された私。
それぞれがどのような思いをあの日の午後に抱いて、一日をやり過ごしたのか。

あの日からかなり長い時間が経って、
詳細を覚えていないのは単なる記憶の欠落も大きいでしょう。
けれどもあの辛かった日を意識的に忘れ去りたい、
あの日の記憶に正面きって向かい合いたくないという気持ちも
私の中には確かに長く存在していたのだと思います。

***********
この日から数年後、仙台で正月に行われる 「どんと祭」 に
夫が参加することになり、必要なものとして軍足を用意しました。
不思議なもので用意した時に、軍足じゃん…と思わず笑ってしまいました。

あの日の出来事の象徴として、
私たち夫婦の心に長らく頑固に居座り続けた「軍足」を目にしたり、
手にすることができるようになった。夫など実際に履いたのですから。

ショマが自閉症であると正式に専門医から診断を受けたのは、
児童相談所を初めて訪れてから2年ほど後です。
発達に遅れがあると十分に承知したうえで聞いた診断名。
自閉症と正式に名前がついたところで、
心が激しく揺さぶられることはありませんでした。

だから、『軍足』 にショマの遅れを告げられたよく晴れた秋の日を境に
私は 「ショマという障害児の母」 になったのだと思っています。


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