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以前のこと~新たなステップへ・1

遅れがあると告げられて、
遅れ、遅れ、遅れがあるという言葉がぐるぐると頭の中で旋回。
せめてその言葉の重みにつぶされることなく、心を水平にしようとしても
この子をこれからどうやって育てていけばいいのだろうという
新たな不安に着地してしまうので、心を水平から前向きにするのは到底無理。
思考はまた振り出しに飛んでぐるぐると回ります。

しばらくの間は泣き暮らしていました。
何をしていても、ぽろぽろと涙が落ちてきてしまう。

障害があるなんてショマが不憫だ。
そしてついでに障害児を育てることになった私も不憫だ、と。

こんなにこんなに不憫だと思って泣いているのに、
ショマは相変わらず私に目を向けることはないのです。
頬を伝う涙を拭ってでもくれたら、
エーンエンしてるの? と問われでもすれば、私の心も少しは救われたでしょう。

自閉症の子は視線が合いにくいといいますが、
ショマの視線の合わなさは徹底していました。
合う、合わない以前に私のことがまるで視界に入っていないようでした。
私はその辺に無造作に置いてあるモノと一緒で、
モノでもまだ気にかけてくれるならいいのですが、
当時のショマにとって 「母というモノ」 は
こだわっている引き戸以下の存在であったように思います。

存在に気づかれているという気がまったくしない。
視界に入ってやれと体をねじ込むようにして、ショマの顔を見つめると
何が何でも目が合わないように、
モノのくせに僕の目を見るなとでもいうように
首を不自然な角度にねじって顔を背けるのです。
何もそんな無理な態勢になってまで避けることないだろと。

自閉症とは脳の機能不全から起こる先天性の障害と言われています。
漢字が示すイメージからか、
私はある出来事によって自閉症になったという
記述をたま~に見かけることがあります。
殻に閉じこもる心の病という意味で誤解を受けることの多い自閉症。

でも―、
幼児期のショマはやはり
殻にこもっているという言葉でたとえるにふさわしい子だったと思います。
殻というか、繭の中にいるような子だと思っていました。

小学校2年生のときに、蚕を育てた経験があります。
学校の理科の課題のひとつだったのですが、
せっせと桑の葉を摘んできては与え、蚕の成長の様子を観察していました。
大事に育てた蚕たちが糸を吐き出して繭になったときの感動といったら。

時々、繭を箱から取り出して光に透かして眺めるのが楽しみでした。
中にいる蚕の状態はわからないのですが、
指先でつまんで繭を動かすとコトコトと音を立てるのです。
繭の中で蚕が変化したサナギが繭にぶつかっている音。

ある日、箱を開けると繭は蛾に変化していました。
初めて間近で目にする蛾の姿が怖くて倒れるかと思いましたが
私が育てた蚕たちは繭を破って成虫となって出てきました。

繭の中でも蚕は成長を続けているというのに、
ショマは自分だけの世界を守るようにして繭の中にいるだけなのだろうか。


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| 自閉症関連~以前のこと | 06:43 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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