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以前のこと~兄弟・2

自閉症の子が家族にひとりいるのは大変な苦しみだと思っていたので、
また同じことを繰り返し、
ふたりになる可能性があるのは本当に恐ろしかった。

健常者として生まれてきたきょうだいだったとして、
その子の人生にショマの人生まで背負わせてしまうことにはならないか。
障害のあるきょうだいがいるのが負担だった、
自分は親に手をかけてもらえないと感じたなど
障害者をきょうだいに持つ方の話を本で目にすることもありました。

そうだよね。
障害者のきょうだいとして生きることだけがその人の人生じゃないもの。
負担はかけられないよね。
そう思うものの、それも親が元気でいられるうちの話。
自分がこの世を去るときに何か言葉を発することができるなら、
ショマをよろしくね、頼みますねときょうだいに託してしまうだろうとも思うのです。

*********
子どもは欲しいけれど障害のある子をまた生むのは怖い。
健常者として生まれてもその子に負担をかけそうで嫌だ。
これらのことを自分の悩みとして、
ろうあ者の姉がいる友人に伝えたことがありました。

彼女は私の煮え切らない態度にイライラしたのでしょう。
また障害者の姉がいる立場として伝えたいこともあったのでしょう。

 障害のある子どもがうまれるかどうかなんてまだ誰にもわからないし、
 私は姉を負担に思ったことはない。
 きょうだいの絆は親との絆より強いことだってある!

怒気を孕んだような強い口調で友人に言われ、
ねぇ障害のあるきょうだいがいるって嫌だったんじゃない? と
誘導するかのような話し方をした自分の態度を反省しました。

私は本当はせめてもう1人子どもが欲しくて欲しくて、
でも障害のある子が生まれたら怖いし、
もしそれが現実になったら自分が大変になるのがわかっていたから
子どもをあきらめるための理由として、
そして、あきらめたことを後になって悔やんだときの理由として
「悩んでいるならやめたほうがいいかもしれないね」という
実際に障害者のきょうだいがいる彼女の言質が欲しかったのだと思います。
こうして思い返してみると、ずるい、ひどい人間だと思う。
彼女とお姉さんが仲睦まじく暮らしているのも知っていたのに。 

きょうだいの絆は親との絆よりも強いことがある、
友人のこの言葉は逆に思いきって
もう1人子どもを生むにあたって自分の支えとなりました。
友人の言葉を生むための理由としたということは同じなのですが、
「理由」ではなく、生むという自らの決断の「後押しと支え」だったのだと思いたいです。

乱暴な言い方かもしれないけれど、
障害のある子が生まれるかどうかは誰にもわからない、出たとこ勝負。
その子にとって負担かどうかなんて生んだ後に考えよう。

その後、まもなくふたりめを授かり、次男のスズが生まれました。


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