PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

以前のこと~障害の捉え方・3

ここまで述べてきた障害の捉え方の大部分は
まだ私が発達障害について深くは知らなかった時期のことです。

今、発達障害の子ども達を育てている母の立場として
こういった障害があることを多くの方に知ってほしいと望んでいます。
ですが、障害のある方と密接に触れる機会のない方に対して、
発達障害について詳細に理解して、
適切に接してくださいというところまでは望んでいないのであります。
なぜなら、本当に発達障害の概念は難しいし、
彼らへの対応も、その特徴によって方法を変えることも必要な場合があるからです。

ただ、発達障害のことをまったく知らなくても、
たとえば、たまたま発達障害について書いてあるブログを目にした、
―きっかけはなんでもいいのですけれど、少し触れる機会があったというときには
発達障害を抱える人は、生きづらさを抱えている人たちなのだと
知ってくれると嬉しいなと思います。

私はこの子たちを生むまで、
障害を抱える人について考えることも、知ろうとすることもありませんでした。
後述しますが、無知というより、
知ろうとさえしない心が生んだ出来事、ずっとずっと後悔していることがあります。
まだまだ世の中には、私の知らないことはたくさんあるけれど、
知ろうとしない心はときに残酷な事態をもたらすこともあるのだということは、
常に自分の心に留めておかないと、と思うのです。

*******************
そして、K先生の話で衝撃を受けた言葉がもうひとつ。

 『お母さんはひまわりの花のようでなくてもいい。』

私は障害者のお母さんは、障害者の母親になるくらいなのだから、
みんな子どものために頑張って、勉強をしていて、立派な人ばかりと考えていました。
実際そういう方はたくさんいらっしゃる。
でも、それよりも何よりも、
どんなときもくじけることのない強い人たちなのだとイメージだけで考えていたところがあります。
障害のある子どもは親を選んで生まれてくるのよと言われることもあり、
そうか、私は選ばれたのか! と思い込もうとしました。
私のところだから、生まれてきてくれたんだよね、と。

思い込もうとはするのですが、
言葉というのは、その人の置かれている状況で
受け止め方、咀嚼の仕方、持つ意味が変わってくるものと考えます。
もうイヤだ…逃げ出したい、口に出してはいけないと思いつつも、
毎日心の底ではひそかに思っていたので違和感もあり…。

私はなにかの大いなる意思によって
障害児の母となるべく選ばれた人間なのかもと自分を奮い立たせる気持ちと
うまくいかない現実と、別に選ばれたくないしという根底にある気持ちとのギャップがありすぎて
どんどん心のバランスが取れなくなってくる。

泣きたいときには泣いて、苦しいときは苦しいって言っていいのか。
先生の言葉に甘えるようにして、
数年鬱々と過ごしていましたが、大いなる意思からは解放されて楽になりました。

ひまわりのように明るい方へ明るい方へ向かっていく性質じゃないし、
いつもぐうたらしてるし、別に選ばれた親でもなさそうだけど、
ただ、ショマの母さんとして生きていくってだけでいいんじゃないか。

障害って面倒くさくて嫌になることもあるし、でも私はショマの母さんだし、
可愛いところもまぁいっぱいあるんだよね。だから育てていけるんだ。
数年かけてものすごく単純な思考に戻ってきた感があるけれど、
障害児の母でも単純でいいんだって思う。


      バナー4  バナー178
      人気ブログランキングへ           にほんブログ村 自閉症児育児へ
      いつも応援ありがとうございます^^

| 自閉症関連~以前のこと | 10:15 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT