ショマ、20歳の夜
20歳の誕生日には居酒屋でお酒で乾杯したいと
もう1年前、いやもっと早くから? の本人の強い希望がありましたので、
4日の夜はグループホームの利用をお休みして、
ショマ・父・母の3人でお祝いをしました。……スズよ、ごめん。

20歳、大人になりました。ビールでかんぱーい

本当に生まれてはじめて口にするアルコールですので
ショマがどれくらい飲めるのかわからず…
アルコールに弱くて倒れられても困るし、
まずジョッキは無理だろと、瓶ビールにしました。
ショマはコップ一杯のビールに、
お店の方からのプレゼントのレゲエパンチを一杯に、
母の頼んだどぶろくのソーダ割りをすこーし飲んだくらい。
それだけ飲んだら顔が赤くなってきたので、あとはソフトドリンクに切り替え。
本人は全てお酒を飲んでいると思い込んでいて
後日グループホームのみんなに6杯飲んだと自慢していたそうな。いやいやいや


美味しいお料理に、お店の方も温かくお祝いしてくださって
私、ここまでを思い出して泣いちゃうかな~と思ったけれど、
20歳になったぞ ! と嬉しそうなショマを見たり、
ほぼソフトドリンクしか飲んでいないのに「お酒を飲んだ」という事実だけで
酔っ払いのような仕草をしてみせるショマが面白くて笑ってばかりでした。
夫は早くに父親を亡くしていて、父子で乾杯するのが夢だったけれど
自分のお父さんと叶えられなかった夢をショマが叶えてくれたと涙ぐんでました。
******
20歳になると障害年金の申請手続きや国民年金の免除申請もしなければならず
これが噂には聞いていたけれど、いやぁ大変なものですな…。
障害年金の申請に、ここまでの生育歴を添付するのですが
学生のときに学校が作ってくれた「個別の支援ファイル」を見ながら
時間があるときに作成。
好きなだけ詳しく書いてと言われれば、数十枚にもなりそう

でも読む側の労力もありますし、あんまり長く書いてもどうだろう?と思い、
支援ファイルを見ながら、幼児期・小学部在籍時~中等部在籍時など
時期を区切って、当時できるようになったこと、できなかったこと、
今でも継続して支援が必要なところなどの記述を中心に作成していきました。
個別の支援ファイルを見ながらでしたので、
母子通園施設や保育所、特別支援学校在籍時のあの頃、あの時代と、
先生とその時期に必要な支援を話し合ったこと、
様々な困難もあったけれど、学校の先生たちが支えてくださったことなどを思い出して…
一人でショマを育ててきたのではないのだと改めて感じました。
それは支援ファイルに名前の出ていない人とのつながりにも言えることです。
夫、スズ、茨城のショマの祖母、青森の祖父母。
人間ではないけれど、私たちの生活に彩りと笑いを運んでくれた
竜太に小梅、真生をはじめとする動物たち。家族にも深い感謝を。
私がお相手の名前も存じあげない方との関わりの中でも
ショマが影響を受けている出会いというものが必ずやあるだろうと思います。
人は一人では生きられないとは言うものの、
障害のある人を育てているというわが身においては、
よりそのことを実感する出来事が多く、
またここまで育てることができたとことへの周囲への感謝を
忘れずにいなければと思っています。

まあ…20歳になったからと言って劇的に変わったことはなく
お酒を飲めるようになったくらいなので、
ここからまた一歩一歩でございます

| 自閉症関連 | 19:59 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑
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